東京地方裁判所 昭和43年(ヨ)2218号 決定 1968年8月29日
債権者
全日本損害保険
労働組合住友海上支部
右代表者
伴啓吾
右代理人
山根晃
ほか二名
債務者
住友海上火災・
保険株式会社
右代表者
溝口周次
右代理人
渡辺修
ほか三名
主文
債務者は債権者と左記事項について誠実に団体交渉をせよ。
記
一、債務者が別紙記載の債権者の組合員の賃金から天引控除した組合費を債権者に引渡す件
二、債権者の組合員である渡部好朋、春田昇、荒井嘉代子らの配置転換を撤回する件
三、債権者が債務者管理中の施設を利用するにつき課せられた制限を撤廃する件
四、別紙記載の債権者の組合員に対し昭和四二年三月支給すべき臨時給与及び同組合員のための賃上げ要求の件
五、右に関連する一切の件
理由
債権者代理人は主文同旨の決定を求め、債務者代理人は申請却下、申請費用債権者負担の裁判を求めた。
よつてその当否を判断する。
一、被保全権利
(一) 団体交渉請求権は被保全権利となり得るか。
憲法二八条は勤労者の団体交渉権を保障し、労働組合法七条二号はこれを承けて使用者がその雇傭する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むことを禁止している。使用者がこの禁止に違反するとき労働者は同法二七条にもとづき労働委員会に救済を申立てることができ、労働委員会はこれを理由ありと認めるとき使用者に対し団体交渉に応ずべき旨の救済命令を発することができ、右命令に従わない者に対しては同法二八条三二条の定めるところにより刑罰又は過料が科せられる。したがつて同法七条二号による使用者の義務は労働委員会の実施する行政手続に照応する公法上の義務であることは疑を容れない。これと同時に労働者はその代表者によつて同条同号に則り使用者に対し具体的な事項に関し労働協約の締結を目的として、交渉拒絶の正当な理由ありと認められない場合に限り、交渉に誠意をもつて応ずべき旨の作為を求める私法上の債権いわゆる具体的団体交渉請求権をも有し、したがつてこれは仮処分命令の被保全権利となるものと考えられる。けだし、労働者の有する団体交渉権が法的な保障を獲得するに至つた歴史的経過及び団体交渉権が労働組合の有する権利のうちでもつ重要性にかんがみ、右権利が公法のみならず私法にもまたがるものとして、とくに前示具体的団体交渉請求権の限度において裁判所によつて保護されるのを相当とするからである。
(二) 時機におくれた攻撃方法却下申立について
債権者は本件仮処分命令申請書及び準備書面において、
被保全権利たる団体交渉請求権の要件事実の一つとして、債権者が「使用者に雇傭される労働者の代表者」即ちかかる労働者をもつて組織する労働組合であることに関し次のように主張した。
「債権者は全日本損害保険労働組合(以下全損保という)の一支部として昭和二四年一一月五日結成された住友海上支部(以下住友支部という)であつて、債務者(以下会社という)に雇傭される者を構成員とするところ、住友支部組合員の大多数が、昭和四一年一二月一〇日右支部を全損保から脱退せしめ住友海上火災保険労働組合(以下住友労組という)と改称せしめたと称するに至つた後も、なお債権者は伴啓吾ほか五二名の組合員を有し、同日支部臨時総会を開催し執行部を選出し、全損保規約及び住友支部規約に従い行動し、会社に屡々団体交渉を申し入れる等の組合活動を継続しているのであつて、債権者は労働組合に外ならない。」
ところが債権者はその後昭和四三年七月一三日付準備書面において、「債権者は、全損保規約及び住友支部規約に従い結集している五三人の組織する労働組合である。したがつて債権者が昭和二四年一一月五日結成の住友支部と同一性を有する旨の主張に対する判断は求めない。」と述べた。
債務者は、右主張は新たな攻撃方法であつて時機におくれ、訴訟の完結を遅延させるから却下を求める旨申立てた。
よつて判断するに、団体交渉請求権の要件事実の一たる、権利主体が「使用者の雇傭する労働者の代表者」であること、即ち本件の場合、債権者が、会社に雇傭される労働者をもつて組織された労働組合であることを主張するためには、その権利者であると主張する者が、具体的事項につき団体交渉を申し入れた時点及び正当の理由なくこれを拒まれた時点においてかような労働者をもつて組織する労働組合の実体を備えていることを明らかにすれば足りる。従つて債権者が、昭和二四年一一月五日成立した全損保住友支部と同一性を有するか否かは右要件事実とは何ら関連しない。
また右の同一性の有無が団体交渉拒否の正当事由の有無とも関連しないことは後に説明する。
かように債権者がこの点に関し主張を変更しても、右は本件の判断に何ら影響せず、これを許しても訴訟の完結を遅延させるものではない。よつて債務者の申立は理由がない。
(三) 事実
当事者間に争のない事実、疏明によつて一応認められる事実及び審尋の全趣旨を総合すれば、次のとおりである。
1 全日本損害保険労働組合
全損保は全国各地における損害保険事業及びこれに関連する事業に従事する労働者が加入して組織する労働組合である。
全損保の規約による組織の概要は次のとおりである。
「全損保は最高議決機関として全国大会、これにつぐ議決機関として中央委員会、執行機関として中央執行委員会を設ける。一企業に八〇名をこえる組合員がある場合、ここに支部をおくことができる。支部は全損保の定める支部規約基準に従い中央執行委員会の承認を得て支部規約を制定変更し、支部大会、常任委員会、執行委員会などの機関を設け、かつ本部中央委員を選出し、全損保の定める労働協約基準案に従いあらかじめ中央執行委員会の承認を得て相手方企業との間に労働協約を締結でき、中央執行委員会の承認を得て単独で争議行為を実施できる。」
2 全損保住友海上支部
会社に雇傭される労働者をもつて組織する全日本損害保険労働組合住友海上支部は全損保規約にいうその一支部であつて、その支部規約を有する。これによると住友支部はその最高議決機関として支部大会を、執行機関として支部執行委員会を、会社の本支店毎に分会をおき、全損保規約と住友支部規約とに則り、会社と団体交渉を遂げ、労働協約を締結する等の活動を行ない、昭和四一年三月四日には労働組合として登記し法人格を取得した。
3 住友支部の全損保脱退
住友支部組合員中若干の者は、全損保の運動方針が共産主義に偏向しているとして不満をもち、同支部が全損保を脱退し企業別労働組合に脱皮することを要望した。同支部は、同年一二月九日支部規約の定める手続に従い、臨時支部大会を開催し、住友支部が全損保を脱退し住友海上火災保険労働組合と改称する旨の決議案を可決し、同月一〇日全損保規約一七条二項所定の手続、すなわち全損保本部に所要事項を記載した支部脱退届を提出した。
4 全損保脱退反対派の行動
ところが住友支部組合員のうち、伴啓吾ほか若干名は、右脱退決議に反対した。その理由は、「全損保は個人加入を原則とする単一組合であるから、住友支部が支部としての脱退決議をしても、それは、脱退賛成者が個別的に全損保を脱退する効力を有するにとどまり、右決議に反対して全損保に残留したい者までもこれから脱退させる効力を有するものではない。まして単一組織の一支部をして全損保から脱退させるものでない。」というにある。かくして右の者らは、全損保の一支部である住友支部の組合員たる地位を自らなお保持することを前提として、同月一〇日以降住友労組とは別個の行動をとるに至つた。
即ち伴啓吾ほか若干名は、従前の住友支部執行部全員が住友労組に属するに至つた関係上、住友支部の機能は停止状態に陥つたと認め、とりあえずうち二一名は全損保本部役員の出席を得て同月一〇日住友支部臨時総会と称する集会を開催し、支部機能再建のため支部大会までの暫定執行部として支部執行委員一〇名及び執行委員代表者伴啓吾を選出した。以後右の者らは全損保住友支部の名をなお称して団結を固め住友支部規約に則りつつ支部大会及び執行部によつてその集団の意思を決定しこれを執行した。例えば執行部は会社に対し同月二八日頃右執行部の氏名を通知し、労働協約に定められた中央経営協議会を開催すべき旨を要求し、昭和四二年一月四日組合費チェック・オフ等に関して団体交渉を申し入れ、同月一五日臨時支部大会を招集し、同大会において支部規約所定の執行委員長として伴啓吾及びその執行部が選出された。新執行部は会社にその氏名を通知し、そのご全損保と共同又は単独で昭和四三年一月まで屡々賃上げ、組合員の配置転換、組合費のチェック・オフ等につき団体交渉を申し入れたが、いずれもこれを拒否された。
右執行部は昭和四二年九月、会社に対し、住友支部と会社間の労働協約の有効期間が満了したが右は向う一年間自動延長された旨を通知した。
右執行部は機関紙として昭和四一年一二月以降「あしおと」を屡々発行配布した。
伴啓吾らの主張に賛同してなお住友支部組合員であると主張する者は、別紙記載の通り同人を含め五三名(いずれも会社の従業員である)に達するが、これらの者は昭和四二年未頃会社に対しその氏名を明示し自ら住友労組に加入せずなお住友支部に残留する者であると通知した。
右五三名中、会社の札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、金沢、大阪、神戸、福岡の各支店及び地方営業部勤務者は、それぞれの住友支部分会にとどまる旨を明らかにし、住友労組に所属する者を除外して分会総会を開き役員を選出し機関紙を発行し、或はその氏名を会社の所属支店長等に通知し住友支部と会社間の労働協約による地方経営協議会の開催を申し入れるなど分会としての活動を行なつた。
5 本件団体交渉申入
右執行部は昭和四三年一月一一日会社に対し主文記載の各項目につき団体交渉を申入れたが、会社は住友支部が全損保を脱退して住友労組と名称を変更し会社と団体交渉を行なつていることを理由にこれを拒否した。
(四) 評価
1 債権者の労働組合性
住友労組の発足、すなわち住友支部の全損保脱退以後においても、なお引きつづき全損保に残留する旨を表明し住友支部の名称のもと団結して行動している五三名は、前記の組織及び行動に照らせば、労働者が主体となつて自主的にその労働条件の改善等を図ることを主たる目的とする団体、即ち労働組合を結成している者である。しかも右労働組合は住友労組とは別個の組織を堅持している以上、もはや住友労組内における単なる分派とはいえない。
その支部総会招集に際し住友支部規約所定の手続が履践されなかつたとしても、その労働組合性を否定できず、また右五三名が住友労組に対し脱退届を提出していなくても、すでに前示のとおり右五三名が住友労組とは別個の労働組合を結成している以上、脱退届提出の有無により右結論を左右でない。
以上説示のとおり右五三名をもつて組織する債権者住友支部はおそくとも昭和四一年一二月以降は労働組合であつてこれが前記全損保脱退決議以前の住友支部と同一性を有するか否かを論ずるまでもなく、右労働組合は使用者たる会社に対し団体交渉を行なう能力を有するものである。
2 主文記載事項についての団体交渉申入拒否の正当事由
(1) 会社主張の団体交渉拒否理由第一は、住友労組発足以降住友支部と称する労働者の集団(債権者)が存在するとしても、会社は住友労組から伴啓吾ほか五二名も同労組の組合員であるとの申入をうけ、かつ同労組との間に唯一交渉団体約款を結んでいる関係上、右集団の実体とくに住友労組との関係が不明であり、もし会社が右集団との団体交渉に応ずれば、右約款に違反しかつ住友労組の組織に介入するとの非難をうけるおそれがある、というにある。
しかし、右労働者集団即ち債権者が住友労組とは別個の労働組合に外ならず、団体交渉能力を具えるものであることは前記の説明により公権的に明らかとなつたところである。使用者はその従業員が複数の労働組合を結成している場合、その一つの労働組合と唯一交渉団体約款を結んでいても、これを理由に他の労働組合との団体交渉を拒むことはその団体交渉権を否定することに帰着し許されないものというべきである。したがつて会社の主張する理由は正当とはいい得ない。
(2) 会社主張の団体交渉拒否理由第二は、全損保脱退決議以前の住友支部と、それ以後の住友支部と称する労働者集団(債権者)とは人格上同一性を有せず、従つて会社が前者と締結した労働協約は債権者に適用されないことは明白であるにも不拘、債権者は、自己と前者との人格的同一性及び右労働協約が債権者にも適用されることを当然の前提として、主文記載の項目について団体交渉を申入れたのであるから、右申入は前提において失当であるのみならず、会社と債権者との如上の見解の相違は交渉にもとづく互譲によつて解決さるべき性質の問題即ち団体交渉事項でなく、たとえ団体交渉を行なつても交渉は忽ち行き詰るであろうというある。
よつて案ずるに、主文記載の各交渉項目に関連する債権者と全損保脱退決議以前の住友支部との人格的同一性及び労働協約の適用如何の問題は、結局全損保の組織をどのように理解するかにかかつており、会社と債権者との間の団体交渉においてもその成否は予断を許さない。しかしそれだからといつて労働協約の適用如何が団体交渉事項でないとは速断できず、ひいては前記各交渉項目についての団体交渉を拒否することが正当であるともいえない。かえつて主文記載の各交渉項目についてみれば、協議をつくすことにより、たとえ原則論にもとづく根本的解決に至らなくても、暫定的措置による解決も可能と認められるのである。したがつて右団体交渉拒否の正当事由となり得ない。
3 具体的団体交渉請求権
以上説明のとおり、債権者からの主文記載の交渉事項に関する団体交渉の申入につき、会社はこれを拒否するに足りる正当理由を具えるとの疏明はないから、債権者は右事項に関し具体的団体交渉請求権を取得したというべきである。
二、保全の必要性
債権者は、自己が、昭和二四年一一月五日結成の住友支部と同一性を有する旨の主張を訴訟上しないけれども、主文記載の交渉事項に関するかぎり会社との団体交渉において右主張を全くしないものとは考えられず、従つて会社もなお団体交渉拒否の態度を維持するものとみられる。よつて債権者は右権利を侵害されたものであつて、このまま放置されるときは右交渉事項の性質上この請求権の実現を期待できず、ひいてはその基本的な使命である使用者との団体交渉をなしえず、労働組合としての重要な機能を失うものと推認されるから、即時右請求権実現の必要性ありというべきである。
三、結論
よつて本件仮処分申請は被保全権利及び保全の必要性について疏明を得たから保証を立てさせないで主文記載の仮処分を命じるのを相当と認め、主文のとおり決定する。(沖野威)